50年前、日本の若者3人がイスラエルの空港で銃を乱射し、多数の人を死傷させる事件があった。3人が所属していたのは、日本赤軍という過激派グループだ。後にも世界各地で次々テロ事件を起こし、警備態勢の強化のきっかけにもなった。その最高幹部だった重信房子受刑者(76)が28日、刑期を終えて出所する。グループの解散を宣言しているが、いまだ逃亡中のメンバーもおり、警察当局は動向を注視している。
乱射事件は1972年5月30日、テルアビブのロッド国際空港で、岡本公三容疑者(74)=国際手配中=ら日本赤軍メンバー3人が自動小銃を発射したり手榴(しゅりゅう)弾を投げたりした。警察庁によると、居合わせた一般の旅行者ら26人が死亡し、負傷を含む被害者は約100人にのぼった。メンバー2人は自爆死し、岡本容疑者はその場で逮捕された。
空港警備強化、テロ対策の原点に
日本赤軍のもとは学生運動にある。国内では60年代、学生らがベトナム戦争や日米安保条約改定などに反対し、デモを展開。運動は下火になったが、一部の学生組織は警察部隊と衝突を繰り返すなど過激化し、暴力を使ってでも共産主義革命を実現しようとする過激派グループが生まれた。
その一つが赤軍派だ。警察施…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル